この4月から実行委員の仲間入りをさせていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
現在は学校の進路指導の直接的な業務をすることがなくなりましたが、2年前から金沢市障害者施策推進協議会委員を務めさせていただく中で、本校だけでなく金沢市の就労支援について関わっています。全国で初めて開催した地方セミナー「金沢セミナー」も2009年は石川県だけでなく富山県・福井県の人達との実行委員会形式で北陸セミナーとして開催します。
金沢で、石川で、北陸で就労支援の熱い動きを創りだしていきたいと思います。
1981年(国際障害者年)に厚生省入省。1997年から99年までの2年間、省庁再編前の労働省障害者雇用対策課で調査官として勤務。厚生省との統合を見据えた福祉施策と雇用施策の連携策の企画立案に従事し、ジョブコーチの先駆的取り組みを進める方々とのお付き合いが始まる。その後、2003年から05年まで内閣府の障害者施策担当参事官として、政府全体の障害者施策の調整の枠組み作りに従事。2005年8月からは国土交通省において、少子高齢社会における福祉施策と住宅施策の連携策を検討。
2007年8月から厚生労働省老健局で介護保険制度等の高齢者施策に従事。
ほぼ2年ごとに職場を異動していますが、どのポストにも障害のある方の生活に関わる仕事があると感じています。
大学卒業後、千葉・福岡・岡山障害者職業センター等で17年間障害者職業カウンセラーとして働く。その後、福岡にある精神科病院、精神障害者地域生活支援センターで5年間、精神障害者の就業支援と地域生活支援に携わる。2003年から大学で精神保健福祉士を育てる仕事をしつつ、就業支援実践現場のスタッフにスーパービジョン等を継続して行っている。精神保健福祉士、手話通訳士
西尾 保暢
社会福祉法人横浜やまびこの里 東やまた工房,東やまたレジデン
《経歴》東京都内の保健所にて精神保健福祉相談員(PSW)。90年7月より横浜やまびこの里に所属。通所施設(東やまた工房),生活支援部門,就労援助部門(仲町台センター,ワークアシスト仲町台)を経て02年4月通所施設(東やまた工房),入所施設(東やまたレジデンス)に所属。《プロフィール》知的障害を伴う自閉症の人たちに対して,施設から地域参加のためにいろんな「無謀な挑戦」を試してきました。当時(95年)は,重度の障害者が地域で働くという私たち発想も周囲の理解もが乏しい中,ジョン・クレーゲル氏の講演に触れ,サポーテッド・エンプロイメントの考え方に共感し,ジョブコーチによる就労援助に取り組んできました。今後のテーマは,施設内の作業班グループ単位にてジョブコーチ的援助者が付いて地域参加できないかというもくろみ・・。
【経 歴】
埼玉県下で障害者福祉(地域デイケア、知的通所授産、身体デイサービス、就労支援、相談支援)事業に約20年従事。
この7月中旬よりODA(政府開発援助)の仕事でコスタリカ共和国へJICA(独法:国際協力機構)の技術専門家(分野:住民参加・啓発促進)としてして任国政府機関に派遣され総合リハビリテーションプロジェクトに従事中。
大学では社会科学系と特殊教育学を学びました。
【その他】
障害者スポーツはコーチ(陸上、ボッチャ、FD等)や審判で活動してます。1997年から99年の2年間、青年海外協力隊員としてホンジュラス共和国、障害者スポーツ委員会を中心に障害者スポーツの普及啓発に現地の方と取り組みました。
経歴
音楽短期大学ピアノ専攻卒業
東京生活13年後帰沖
社会福祉法人名護学院更生施設勤務 退職
雇用支援センター(現就業・生活支援センター)開所で名護学院へ復職
実務と養成校で社会福祉士資格取得
独立型社会福祉士研修終了(独立未定)
障害者就業・生活支援センター ティーダ&チムチム センター長兼主任ワーカー
コメント
就労支援に携わり7年になろうとしています。
初心を忘れず、学びの毎日です!
経歴:
教育学部養護学校教員養成課程卒。(最近、教育実習などでお世話になった先生がたとよくお会いするようになりました。ちょっと恥かしい。)学部4年生の時にアメリカへ派遣留学(LD専攻)。
卒業後、入所施設職員を経て、再度アメリカへ。
リハビリテーションカウンセリング修士(サポーテド・エンプロイメントと移行サービスを専攻)。米国公認リハビリテーションカウンセラー(CRC)。臨床心理士。 社会福祉士。
98年2月より、仲町台センター勤務。03年4月より、よこはま・自閉症支援室(横浜市自閉症・発達障害支援センター)就労支援担当に着任。08年5月、「よこはま・自閉症支援室」は横浜駅近に移転し、 「横浜市発達障害者支援センター」に名称変更しました。平成21年度は、横浜市発達障害者支援開発事業・発達障害者支援マネージャーを担当しています。
コメント:
もともとは特殊教育専攻。大学4年の時、アメリカに留学し、サポーテド・エンプロイメントに出会いました。「障害があっても、社会に出て働くことは権利」という言い切る文化に感激し、卒業後渡米し、サポーテド・エンプロイメント三昧。帰国後、仲町台センターで念願のジョブコーチになりました。最近は、相談業務に四苦八苦。そういう意味では取得後12年にして、CRCっぽい仕事をしているのかなと考えているところです。
松本 玲子
福岡ジョブサポート研究会・代表、障がい者のはたらく拠点 福岡ジョブサポート・代表
経歴
社会福祉士
1998年から地域での就労や生活支援の仕組みを創りたいと福岡ジョブサポート研究会の活動を始めました。その実践の場として1999年に作業所「障がい者のはたらく拠点 ジョブサポート(馬出)」を、2002年に「障がい者のはたらく拠点 ジョブサポート(郷口)」を開所し、働く事にさまざまな困難を抱えた人への支援に取り組んでいますが、ジョブコーチ支援の理念と手法は大きな柱です。
作業所の中で取り組むさまざまな仕事や学習のチャレンジに加えて、企業の中でのジョブコーチつきグループ就労を、企業就労をめざす緩やかなステップとして位置づけて取り組んでいます。
6月に開催した「ジョブコーチ・ネットワークフォーラムふくおか」の熱気冷めやらぬ実行委員を中心にして、“支援のサイクルを回そう”をテーマに「福岡市障がい者就労支援ネットワーク」を立ち上げました。9月には立ち上げ記念講演会を計画して準備中です。
障がいを持つ人がその能力を発揮して元気に働き続けるには、企業や教育機関、さまざまな支援機関や社会資源が連携して支援を続けることが不可欠です。障がいを持つ人にとって本当に役に立つ生きた支援ができるために、生きた連携を作り出したいと福岡は意気盛んです。
堀江 美里
NPO法人WEL`S 新木場 副理事長就業・生活支援センターWEL`S TOKYO
経歴
大学卒業後、私立中学で自閉症クラス担任教員として勤務。
その後、中野区障害者福祉事業団に平成5年に入職。 庶務経理係に5年半従事後、就労支援担当を9年間従事し、平成19年3月に退職。
平成19年4月よりNPO法人WEL‘S新木場の運営する「就業・生活支援センターWEL`S TOKYO」での活動を開始。
○コメント
就業・生活支援センター開設3年目を迎えました。
はやいものですね。毎日マラソンしている感じです(笑)。ときどき、坂道ダッシュ付きの。
今年のテーマは、「フォローアップと地域福祉計画」
みなさんも気がついていらっしゃると思います。
「就労!就労!」の掛け声と施策展開はすごいスピードで進みました。
でも、みんないつか地域に帰ってきますから。
彼ら彼女らよりも、確実に早く退職する私。
地域に忘れられないように、、なんかやろうって思ってます。
ハッピーリタイアメントの姿を見ないことには
安心して就職もできないのです。
どうぞ、よろしくお願いします。
《経歴》
1982年、当時東洋一といわれた巨大入所施設金剛コロニー(大阪府障害者福祉事業団)に就職、施設の中での「豊かな」暮らしを求めた生活支援員の30代、措置から契約の時代が始まり、「授産施設の中で働く」施設支援に埋没していた自分の愚かさを知らされ、「施設から地域での普通の暮らし」を求めて、いろいろな研修会に参加、その中で「障害があっても施設でなく会社で働ける」、ジョブコーチ支援の理念に共感、事業団でその導入に取り組んできた。そして、障害者自立支援法施行後の2007年4月堺市で事業団新施設「じょぶライフだいせん」設立にかかわり、就労移行支援事業を運営、合わせて、堺市内における就労移行支援事業者とともにネットワークを作ってきた。
2010年、特定非営利活動法人クロスジョブ堺を設立、4月より、堺市内で就労移行支援事業所わーくほーぷをスタートし、新たな人生に船出。
《コメント》
就労移行支援事業は、これまでの福祉サイドの就労支援の仕方や考えを根本から変えていかないとできない事業です。作業所や施設での作業を余儀なくされていた方々が、就職できる時代にむけ、今後も、就職、そして雇用定着を進めた事業所には、もっと報酬単価をかげてこの事業に頑張る事業者を育てていくことが、日本の福祉にとって必要だと思ってます。
これからの人生は、地域就労支援・企業とのネットワーク・就労移行支援事業の強化を柱に、「堺市を大阪を障害者雇用日本一に」を目標に、楽しく頑張っていこうと思ってます。よろしくお願いします。
西村浩二
社会福祉法人つつじ 広島県発達障害者支援センター
経歴
大学時代を障害児者へのボランティア活動と社会勉強に明け暮れ、なぜか広告業界へ進み、4年間悶々とした生活を送る。その後1年少々を自由な人として過ごし、1996年に社会福祉法人つつじコスモス(授産施設)へ就職する。翌年ウィングに異動となり、2002年より現在の職につく。
そして、2006年6月より広島県発達障害者支援センター専任として発達障害のある人の相談業務を行っております。
コメント
ジョブコーチの方法論や経済活動へかかわるということが前職の仕事に通じる部分もあり、自分を活かせる分野と信じて、広島でも地域就労支援の波を広げたいとあれやこれやと画策しています。この業界は「社会の中で当たり前に暮らす」って言葉がよく出てきますが、このことをあえて語らなければならないほど、福祉分野と社会との距離はまだまだ縁遠いと感じています。この状態に風穴を開ける可能性を秘めているのが「ジョブコーチ」ではないでしょうか。現在は現場での直接支援に携わることよりも、地域就労支援システムをつくることと人材養成のための仕掛けをすることが中心であり、現場スタッフの側面支援が主な役割です。また発達障害児へのかかわりも兼務している関係上、「幼児期からはじめる就労支援!?」を合言葉に一貫した支援体制を東広島地域でもつくっていくことが当面の課題でもあります。
【経歴】
1995年 フリーターとして就労に挑戦。離職を繰り返す。
1996年 アルバイトで稼いだ小銭を握りしめ、貧乏旅行を始める。ひとまずガンジス川で沐浴。
1997年 家から追い出され本当の貧乏生活が始まる。晩飯に誘惑されグループホームのアルバイトをする。
1998年 重度身体障害者のヘルパーとしてカリフォルニアに行く。生まれて初めてミッキーマウスに出会い感激する。
1999年 電気とガスを止められる。箕面市障害者事業団に就職し、九死に一生を得る。
2001年 障害者雇用支援センターに異動となり、就労支援にどっぷりつかる。
2007年 社会福祉法人いたみ杉の子に新境地を求める。入所施設の変則勤務に悲鳴を上げる。
2008年 同 相談支援事業所ウィズゆうに異動。就労支援のできる相談支援事業所を目指す。
【コメント】
ジョブコーチという仕事に出会えたお陰で、今のところ晩飯に困ることはなくなりました。
これからはジョブコーチとして、障害のある人が自分の稼いだ給料で自分の好きな晩飯を食べる、そんなあたり前のことを支援していきたいと思っています。
川邊 循
(社福)横浜やまびこの里 東やまた工房
経歴:
大学卒業後、1993年より神奈川県総合リハビリテーションセンター職能科勤務後、2002年より(社福)横浜やまびこの里へ2006年度より現職。
コメント:
入所施設に異動して三年目です。すっかりジャージの似合う施設職員になりました。
最近何度か企業就労している元利用者の皆さんにお会いしました。僕が元気をたくさんもらいました。
小川 卓
社会福祉法人電機神奈川福祉センター・横浜市新杉田地域ケアプラザ
《経歴》:
障害児学校の教師時代に進路に携わったのがはじまり。教育の道を捨てて、民間の福祉施設に転職し、まさか教師時代に見学したことのある就労援助機関の職員になろうとは…。現在は、福祉相談員として施設から設立母体の労働組合に出向中。 《プロフィール》: 初めに言っておきますが、ワルサをして教師を辞めたわけじゃないですよ。「学校の進路」に《限界》を感じて、民間の福祉施設に飛び出したわけです。 転職をして、ジョブコーチの世界に足を染めるようになって、全国のいろいろなところでで頑張っている、たくさんの進路の先生たちに出会ってわかったのは、結局《限界》だったのは、「学校の進路」じゃなくて、「自分」だったのね、ということでした。 「あの頃、もう少し《いろんな人に出会えるチャンス》が自分にあったら、今の自分はなかったかのも」と考えると、そんなチャンスがなくって良かったような、悪かったような…。それでも《いろんな人に出会えるチャンス》があるっていいですよね。
木野村なぎさ
練馬区障害者就労促進協会(愛称:レインボーワーク)
≪経歴≫
1983年社会福祉学部を卒業。 1992年練馬区障害者就労促進協会(愛称:レインボーワーク)で障害のある方々の就労支援を始める。 ≪プロフィール・コメント≫ 入職当時、設立まもないこの団体では「何をどうしたら障害のある人が企業就労できるの?」の質問に、方向性や答えを持っている人は誰もいませんでした。だから面白!一歩踏み出し、走り出し、それから考える。「配慮してもらいたいことを会社へ伝えよう」「職場へ一緒に行って仕事を教えよう」「フォローアップが大事だよね」と必要なことをつなぎ合わせて支援してきました。“ジョブコーチ”の存在や手法を知ったのは随分経ってからでした。あれから10年ちょっと「この人の職場、なんとしても探す」と意識は変わりました。だけど、基本は変わってないなぁ、一歩踏み出し、走り出し、それから考える。職場開拓が大好きです。だって、エキサイティグなんだもん。写真は愛猫『カボチャ・ん』死の淵から蘇ったイカス男。
酒井 大介
社会福祉法人加島友愛会 障害者就労支援事業部
経歴:
福祉業界で初めての職場が兵庫県尼崎市の社会福祉法人で作業所・通所更生施設の生活指導員として3年勤務。その後、一旦はこの業界を離れたが、どうしても足を洗いきれず、1999年より社会福祉法人加島友愛会で勤務。2000年よりジョブコーチの仕事を始める。 コメント: 加島友愛会では、知的障害者通所更生施設の生活指導員としてスタートいたしましたが、1年後、『ジョブコーチマニュアル』という私の人生を変える一冊の本に出会い、ジョブコーチの魅力に吸い込まれていきました。 3年前に法人独自の事業として、障害者就労支援部を立ち上げ、現在5名の職員がジョブコーチとして、社会の中で働くことを支援しています。もちろんキーワードは『施設から出て社会の中で働く』です。しかしながら、現在はさまざまな事業、制度を活用しながら事業展開をしているので、理想と現実を行ったり来たりしながら仕事をしています。
小松 邦明
財団法人杉並区障害者雇用支援事業団 雇用支援担当係長
経歴:
平成3年杉並区障害者事業団(区の外郭団体)設立時より、障害者が働く喫茶「てんとう虫」の運営を主に担当。平成10年に同事業団が財団法人化され、東京都より障害者雇用支援センターの指定を受けると同時に、ジョブコーチとして雇用支援業務に携わる。 いまでもときどき思い出します。初めてひとりでジョブコーチとして活動することになったとき、職場環境のアセスメントに欠かせない職員実習を、言い訳して実施しなかったことです。あれから約5年、いろんな失敗を繰り返して、「ジョブコーチはなぜ必要なのか、何をするのか。」がちょっぴりわかったような気がします。そのポイントを自分なりの視点で、自分なりの表現で、みなさんにわかりやすくお伝えできたらいいなと思っています。
大澤 隆則
就労移行支援事業所 「あるば」所長
石狩市特別支援教育専門家チーム 自閉症スペクトラム支援士EXP TEACCH LEVEL2
経歴
大学では、児童心理・実験心理を学ぶ。 ミシガン大学に留学の話もあったが、「おまえだったら青い目の 嫁さん連れてくる」と両親に猛反対され断念。 1981年 障害児施設 生活指導員として社会人となる。 1982年 児童相談所 非常勤職員として非行少年とタンマンを はる。 1983年 知的障害者更生施設 生振の里 指導員 就職 1992年 同法人 作業援助グループリーダー 就任 1999年 TEACCHプログラムとの出会い 北海道施設協会特別 トレーニングセミナーにて故鈴木 伸吾氏のサブトレ ーナーとして参加。以後3年間サブトレとして参加。 2000年 仲町台ジョブコーチセミナー参加 2002年 知的障害者更生施設 生振の里 施設長 就任 2004年 石狩市教育委員会 特別支援教育専門家チーム 就任2006年札幌市自閉症・発達障害者支援センター就労担当相談員就任 2006.10就労移行支援事業所「あるば」所長就任 プロフィールコメント とにかく小川さんじゃないですけど「Just Do It!」が服着て歩いているような「吊り橋を走って渡る」性格で「こりゃ面白そうだ」と思ったセミナーには、自腹切って参加。いつの間にかスタッフ入りというパターンでやってきたように思います。とにかく現場第一をモットーにしています。
経歴:大学では教育学部で心理を勉強しましたが、卒業後は>コンピュータの仕事をしていました。その後独立して現在はIT関係の会社を経営しています。 縁あってジョブコーチネットワークの活動に参加して、サイト運営を担当してます。 ジョブコーチについてはまだ初心者ですが非常に興味
を持っています。というのは、私の専門のIT関係も含めて、コミュニティやサポート、コーチング、コーディネータ、メンターというヒューマンスキルを重視する専門性が今注目されているからです。ITを使うことで顔を突き合せない
ですむ社会になることが、かえって人と人とのふれあいやサポートの重要性を浮き彫りにしていく感があります。また一方でITは障害を持つ人や、それまで社会に参加しにくかった子育て中の主婦を、在宅ワークなどの形で社会に参加
させる機会を広げています。ジョブコーチという分野はそんな社会の新しい可能性を、また一つ切り開く先進的な活動に思えます。
経歴:
大学4年間を通じてアサヒキャンプの活動に没頭し、聖・俗合わせた経験は現在の素地。いまの職場で福祉のさまざまな事業に携わり、中でも1986年に始めたTEACCH関係の事業は、いまだしつこく継続中。 コメント: 「経済学部出身です」と言いながら半ば業界をさめた目で見てきたからか、ここ数年、閉鎖性や排他性といった福祉業界の限界ばかりが目につきだしていました。でも、ここ20年について言えば、ジョブコーチのテーマは、経済という業界から、障害のある人たち・福祉という分野に真剣に取り組みを見せようとした初めてのケースと言っていいのではないでしょうか。福祉業界の人間としては、このチャンスを逃してはなりません。ジョブコーチ・ネットワークにかかる期待は大です。
大学を卒業後、民間の発達障害専門の診療所で働く。当時は、心理職として乳幼児から学齢時を中心とした発達障害児の療育相談を行っていた。13年ほどたったとき、ひょうんなきっかけから、労働組合(電機連合の神奈川)が社会福祉法人を設立する段階で合流。障害者の一般就労を目指す施設の運営に携わる。さらに15年が経過し、50歳を過ぎてから、残りの人生で何ができるか考えてしまい、転職する。現在、北関東の大自然の中で単身赴任生活中。
【略歴】
昭和57年 埼玉大学教育学部卒
昭和57年 (財)神奈川県児童医療福祉財団小児療育相談センター勤務
平成7年 社会福祉法人電機神奈川福祉センター勤務
平成22年 独立行政法人重度知的障害者総合施設のぞみの園・企画研究部勤務
小川 浩
大妻女子大学人間関係学部人間福祉学科・教授、社会福祉法人横浜やまびこの里・仲町台センター
経歴:
大学院で障害児教育を学び、神奈川県総合リハセンターの知的障害者更生施設の生活指導員として障害者福祉の業界にデビュー。その後、同センターの職業前訓練科を経て、1998年より社会福祉法人横浜やまびこの里・仲町台センターにてジョブコーチの仕事を始める。2003年より現職。
プロフィールコメント:
仲町台の実践がスタートして2〜3年、目前の利用者さんの支援に無我夢中だった頃、ジョブコーチについて話しをする時は、「とやかく言わずにとにかくやってみよう」という思いを込めて「Just Do It」をキーワードにしていました。管理運営の立場になるにつれて、次第に「Plan Do See」、計画と修正の必要性を説くようになりました。今、ジョブコーチ・ネットワークを立ち上げるにあたって、気分は再び「Just Do It!」。もう一度、とやかく言わずにやってみようと思っています。日本のジョブコーチ、アッという間にここまできましたが、まだまだ理想とかけ離れているからです。一緒に「Just Do It!」の人たち、側で「Plan Do See」と囁いてくれる人たち、いろいろなカラーでジョブコーチ・ネットワークを形作っていきたいです。日本の就労支援、障害者福祉、「ジョブコーチ」をキーにどこまで変わるか。もう一勝負!