実行委員一覧

栗谷佳孝
ブリヂストンチャレンジド㈱ 名古屋分室長

★略歴★
H8年〜H16年 知的障害者通勤寮 支援員

金銭管理、余暇、調理、対人調整などの生活支援に従事。
GH利用者の定着支援の際に、ジョブコーチの存在を知る。
寮OBの相談をきっかけに、他機関とのネットワークづくりの必要性と
楽しさを知る。 

H17年〜現在  ブリヂストンチャレンジド㈱ 

「成長」と「自立」をテーマに活動。社員の成長とともに自分も少しずつ
成長させてもらっている。 彼らが活躍できるフィールドを拡げることで、
親会社、グループ会社の方たちに対して、さらなる理解促進、雇用が
進むように活動しています。

気づけば「働く障害者」の支援について、「どっぷり」はまってしまい、
業務外の活動が増えています。 
竹城 満博
東部障がい者就業・生活支援センターみらい 竹城

障害者への就業支援の技術の向上のため、日々勉強しより良いサービスが提供できるようがんばります。

恩田 崇史
社会福祉法人桑友 第一号職場適応援助者

民間企業で経験を積み、縁あって現職で第一号職場適応援助者をやっています。
私は企業で採用業務の経験があり、
『雇用は採用よりも、雇用の持続の方が大変である』事を痛感しています。
なので
企業が障がい者雇用をし、雇用を継続するための支援の一助を担えるのは嬉しい事です。
森屋直樹
ナカポツ施設長

山梨県山梨市生まれ。
精神保健福祉士として、地域生活支援センターや病院医療相談室、グループホーム世話人や授産施設に勤務。平成20年からナカポツセンター施設長として活動中。

足立 大
大阪府障害者福祉事業団金剛コロニー支援員

2008年くらいにボランティアで知的障がいの方の支援をしていました。その後、この仕事のプロになろうと某作業所で2010年から非常勤で勤務して支援にあたっていましたが、経営危機で雇い止めななりました。
飯のタネがなくなり、困っていたところ、大阪府障害者福祉事業団に正職員として拾っていただけ、日々のご飯に困らなくなりました。

これから、入所施設から地域生活移行に関わっていくと思います。
そのなかでジョブコーチのことを学び、利用者の方が能力に合わせて働き、楽しく充実した日々を送れるような支援をしていこうと考えています。






宮澤純代
(財)北海道精神保健推進協会     こころのリカバリー総合支援センター

横浜で就労支援を数年したのち、現在は札幌で精神科デイケアのソーシャルワーカーをしています。

以前のように企業訪問をしたりすることはなくなったけど、働くことを考えるプログラムを作ったり、地域の他の就労支援機関につなげていくことが今の自分の仕事なのかもしれない…と考えたりしています。札幌の人の暖かさを感じつつ、横浜でお世話になった方々にお会いできることがうれしい最近です!


井上 正治
すいた障害者就業・生活支援センター

1998年1月、17年間のサラリーマン生活から一転、障がい者福祉の世界へ。法人運営の生活支援センターに居候しながら、自主事業として法人が立ち上げた「すいた障害者就労支援センター(職員は私のみ)」のセンター長となる。ガイドヘルパーのまねごとをしながら職場開拓をするも50社飛び込んで成果0。矢折れ刀尽きる寸前に小川代表のジョブコーチに出会う。2000年にカリフォルニア・サクラメントにて本場のジョブコーチに触れる(触れただけ)。2001年大阪府の障害者就業生活支援準備センター事業を受託、本格的に就労支援を始める。2006年、国の障害者就業生活支援センター事業を受託。脆弱な生活基盤等就職への困難度の高くなってきている相談者と増え続ける定着支援に頭を抱えて解決方法を模索する毎日です。写真大は夕暮れの高知桂浜にて、憧れの龍馬と出会いテンションMaxの私です。

金川 善衛
医療法人清風会 就労支援センターonwArk 作業療法士

2003年、作業療法士として、精神科病院に就職したところから社会人としてのスタートを切りました。デイケアセンターにて勤務を経験した後、自立支援法の施行とほぼ同時期に法人内で就労移行支援事業がスタート。配属を命じられる。何をどうしたらいいかもわからずにいたところ、就労支援の諸先輩方に出会う中で、専門スキルから社会人としてのいろはまで多くのことを教えていただきました。就労支援をはじめて5年目という節目を迎え、多様化するニーズの中で様々な支援の方法を模索するため、試行錯誤の日々です。「skiil&spilit」を大事にし、専門職としてプライドを持って仕事に取り組まなければと、気合を入れなおしています!
プライベートの活動として精神障害者フットサルチームの運営に携わっており、今年はイタリア遠征も実施。
趣味は、サッカー・フットサルとつけ麺めぐり。
ボールに触る日は年間150日以上。食べたつけ麺は年間100杯という生活を5年以上続けています(笑)目指せ、JC-NETのつけ麺王子!

福本 康之
山梨県教育庁総務課 主査 + 日本自閉症協会 代議員

自閉症の長女(特別支援学校中学部1年生)をもったことをきっかけに、この世界に飛び込みました。
最初は「何でこんなに苦労しなければならないのか」と悲観に暮れていましたが、仕事や当事者団体の皆さん、そして支援者の助けにより、彼ら(彼女ら)がもつ能力が発揮され、活き活きと生きていける姿を数多く見てきました。
今も「障害児の保護者ときどき行政担当者」としてこのサイトを覗いては、皆様の元気をお裾分けしていただいています。

未だに「障害福祉課員」と間違えられるのですが、昨年度から山梨県教育委員会の組織・人事管理をしています。あまり大きな声では言えないのですが、障害者雇用率全国最下位の我が山梨の窮状を打開するため、日々、格闘しています。
早川奈緒美
石川県金沢市 社会医療法人財団松原愛育会 自立就労支援センターいしびき に所属

主に精神障がいの方の利用が多い多機能型の就労支援施設にて、ソーシャルワーカー 兼 第1号ジョブコーチをしています。就労支援自体はもう両手の指では足りない程の年数になりましたが、今でも学びや発見、反省の毎日です。でも就労支援は奥が深く、とにかく楽しい!今後も長く続けていきたいと思っています。
野上 弘一
広島市発達障害者支援センター 相談員

社会教育関係への就職を目指していたのに、大学卒業後なぜか社会福祉の道へ。1992年、当時まだ一般的ではなかった、「創作的活動」を日中活動の主体とした重度身体障がいの方のデイサービスセンターである、広島市北部障害者デイサービスセンターの開所準備から社会人生活をスタートし、同所開所後はセンターにて介護および作業を通じた支援等に従事。1998年、転勤で広島市皆賀授産所にて知的障がいの方の作業を通じた支援をしながら広島市皆賀園の開所準備業務に携わり、皆賀園開所後は新設となった生活支援センター(通所更生部門)に勤務。2001年、内部異動で就労支援センター(通所授産部門)へ。旧授産所時代の福祉的就労の場から、「社会へ人材を送り出す一般就労を目指そう」との施設の方針転換により、職場開拓担当を命ぜられる。ここから9年間、知的障がいのある方の就労支援に携わる。着任当時、就労者ゼロの状況から、営業のようなとびこみでの職場開拓と当事者の方々やご家族に理解を求めていく取り組みからスタートし、その後体験実習や就労前提実習の企画、就労準備や就労時、アフターフォローでのご本人・家族と事業所とのコーディネーターからいわゆる「当事者グループ」の立ち上げとサポート、さらには当事者の方の恋の悩み相談(?)まで…様々な経験を経てやりがいを得る。2010年、転勤で現職へ。現在は発達障がい分野をフィールドとしてニードに応じた相談支援業務に携わっております。

コメント

モットーは「初心忘れるべからず」「頭はいつも柔らかく」。就労支援はいわゆる「福祉」とは少し違った切り口や考え方をしばしば求められる仕事だと実感。また、いくら経験を積んだ支援者であっても、その答えややり方がずっと通用するとは限らない。福祉の世界は答えが一つじゃないし、昨日「OK」だったことが今日は「NG」になることもしばしば。一人の支援者ができることには限界もある。だからこそ、自分の心や頭の中の「ポケット」に他者の様々な考え方ややり方を吸収し蓄え自分なりに活かしていくことや、独りよがりな支援ではなく、ご本人やご家族・他の支援者や事業所の方々と「一緒に考えていきしょう」的なスタンスで取り組んでいくことが大切なのではないかなあ…と思っております。

橋元 朋代
国立大学法人 金沢大学 ジョブコーチ

知的障害者授産施設、更生施設職員→ナカポツセンタースタッフを経て、19年より 国立大学法人 金沢大学でジョブコーチとして働いています。

障がいのある方3名でスタートした学内清掃でしたが、毎年メンバーが少しずつ増え、4年目にはメンバー15人、ジョブコーチ3人という大きなチームになりました。

家庭の都合上、なかなか研修等に参加することができず 何かしたくてもどかしい日々を送っていますが、そのうち脱皮したいと思っています。

武井 潤
社会福祉法人あだちの里竹の塚ひまわり園 サービス管理責任者

平成12年社会福祉法人あだちの里綾瀬ひまわり園にて勤務開始。パン事業を6年、受注事業を1年経験。平成19年現在の職場である同法人竹の塚ひまわり園就労移行支援事業のS管として勤務。パン事業の6年は、対応の難しい利用者さんへの対応とパン製造に悪戦苦闘していましたが、非常に密度の濃い時間を過ごすことができたと今では感じています。そこで、「障がいのある方々が働き、お金をもらうこと」や「できなかったことをどうすればいいか」などについて考えるようになり、パン事業は私の原点と思っています。今後も障がいのある方々の就労支援(実際には生活支援のウェイトが大きい)特に就労移行を可能な限り続けていきたいと思っています。
井原佳代
社会福祉法人澄心 ジョブあしすとUМA 就労支援員

愛媛県四国中央市で就労支援をしております。
ジョブあしすとUMAは、市委託の相談支援機能強化事業と県委託求人開拓事業で構成されており、就労支援に特化しております。地方の就労支援特有の課題と未知なる可能性を秘めながら、明日は何を仕掛けていこうかとワクワクしながら走り続けてまいりましたが、最近では少し冷静に現状を見つめることも必要と苦言呈されている42歳です。

【経歴】
90年代初頭国立秩父学園附属保護指導職員養成所養成部にて1年間午後4時半の夕飯を食しながら過齢児の生活を憂う。
その後富士山の麓で6年間知的障害児(者)の家庭寮の一角に居を構え、共に暮らす日々を送る。
帰郷し、法人設立ユニット個室の生活施設を実践、ここ10年の福祉構造改革の潮流に巻き込まれ、就労支援に行きついたのが4年前。全くの素人手探り状態の暗闇の中で一筋の光をJC-NETに見る。そして現在に至る。
twtter ID : babyshu7503
湯田 正樹
株式会社キユーピーあい 代表取締役社長

1972年に入社して以来、営業部門を担当してきました。その私が障害者雇用に携わる事になりましたのは、親会社で特例子会社を担当したい者を公募した時からになります。その当時を思い起せば、特例子会社?、それ何?とわからない事ばかりで正直無関心でした。家族もそのまま親会社にいて欲しい、と切望されました。公募締め切りの前日に人事担当者と話す機会があり、経営を任せる事が出来そうな候補者が応募してこない現状を知りました。一晩考えた後に、家族の理解を取り付け、締切り当日、公募に名を上げたのです。欲運よく選んで頂き、2003年3月に特例子会社設立のプロジェクトを担当する事になりました。その後に先輩会社の見学を数社入れて頂き、会社の運営や設備を6カ月かけて作り上げて2003年12月1日に事業を開始する事が出来ました。(会社設立6月20日)
会社が障害者を採用できる人数には限界がある事から、他社にも障害者の方を雇用して頂くにはどんな事を行えばいいのかを考え、障害者の訓練、実習生の受けれ、地域の障害者就労支援センターとの連携、地域のネットワーク支援、会社見学希望者の受け入れを積極的にする事にしました。また、グループ適用をしていないので、関連会社の採用、定着支援も役割として担う事にしました。JC−NETとの関わりは第1期のジョブコーチ養成研修に参加した時です。ひとりでは限界があっても、複数で行えば思いがかなう事が多いと信じています。一人で悩まないで連絡してくださいね。
 中学校美術の教員として東京都に採用され、当時の養護学校に赴任し、仕事を選ばずに与えられた仕事に励んでいたら、気付いたら進路指導担当になっていました。その後、約10年間進路指導に没頭し、学校間連携に仕組みづくりや、企業や福祉との連携に奔走してきました。上司や同僚に恵まれ、企業の方や福祉の方、行政の方などに助けられ、ここはひとつ自分が行政に入って施策に関わろうと一念発起し、所謂指導主事になり現在に至ります。
 単車と旅行とサッカーが好きなのですが、卒業生と知的障害者サッカーのクラブチームと立ち上げ、これもかれこれ10年以上指導を続けています。
石井浩明
福岡市障がい者就労支援センター 就労支援コーディネーター

山口大学経済学部を何故か5年かけて卒業後、民間の食品会社で営業マンとして勤務。
営業所の上が会社の寮だったため、朝早くから夜遅くまで壁に貼ってある「営業グラフ」と格闘。
そんな生活の中、福岡市の広報誌で福岡市社会福祉事業団職員採用の記事を見つけ「福祉業界の存在」を知り受験。ラッキーな事に採用。当初企業と福祉の環境に戸惑いつつ、同法人が市から受託運営する高齢者施設、授産施設等を経て、平成15年より就労支援センターにて勤務中。今になって民間企業で働いていた経験が活きる場面もあり、「人生に無駄な事はない」を改めて思う日々を送っています。
高次脳機能障がい者の就労支援・ジョブコーチをキーワードに、皆が元気に楽しく暮らせる社会を創っていきたいと考えています。現在の目標は、個人に対しては「究極の能力開発」、社会に対しては「新たな創造と変革」です。最近は、特に「雇用創出」に関心があります。

【略歴】
◯この世界へ入るまで
小さな頃から本を読んだり、文章を書くのが大嫌いでした。また、高校時代に、バイトで百科事典を売り回り、営業職には就かないと決意しました。そんな自分が、ひょんなことからこの世界へ。
◯1996年〜 横浜市総合保健医療センター
精神障がい者への社会復帰支援(生活・就労など)に従事。ナイトケア→デイケア→就労援助の3部門を最短で回る。ナイトケア(入所施設)時代は職場開拓ならぬアパート開拓に汗を流す。
◯2002年〜 名古屋市総合リハビリテーションセンター 就労支援課
名古屋リハに来てからは、就労支援課で9年。2003年からジョブコーチ(職場適応援助者)支援事業を担当。主に高次脳機能障がい者への就労支援に従事


秦 政
秦 コンサルテイングオフィス(代表)

偶然がきっかけで特例子会社を設立、その経営に当たったのは10数年前。
以降、一貫して”企業経営と障害者雇用”を自分のテーマとして取り組んでまいりました。
これからもこの視点を忘れず就職を願う多くの障害のある人たちのエンプロイアビリテイーを如何にして高めて行くかを追い求めてゆくつもりです。その視点で発信をして行くのが私の使命と考えています。
今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。

本間 修
NPO法人障害者雇用部会

経歴
 1994年に、知的障害者を戦力にしようという特例子会社の設立・特例認定に携わり、18人のハンデを抱えた人達といろいろやってきました。彼達のありのままを受け取りながら、普通の会社でありたいという思いでやってきました。
 36年の会社生活を切り上げ、障害者が働くということに関る仕事と、NPO活動を何とか併せやって行きたいと思っています。

コメント
 ハンデを持っている人達が生きていく、働いていくという世界は大きく変わりつつあります。新たな課題が次々に目の前に迫ってきています。我慢強く取り組んで行きたいと思っています。
経歴:大学院で心理学を学び、障害のある子供の療育支援に明け暮れる。院修了後、就職難で路頭に迷いそうになったところを、仲町台発達障害センター(現・仲町台センター)に拾ってもらう(梅永先生、ありがとうございます!!)。仲町台では、複数名就労(エンクレーブ)の支援や協力機関型ジョブコーチ、よこはま・自閉症支援室(現 横浜発達障害者支援センター)の就労相談担当を経て、現在ワークアシストやまびこ(旧 ワークアシスト仲町台)の支援員。臨床心理士、社会福祉士。

コメント:この仕事を始めてからの数年間は、とにかく現場が楽しくて、若さの勢いもあってか、長時間の通勤ももろともせず日々が過ぎていきました。障害のある人が社会の中で働くことを支援することが、こんなに面白いものかと現場の味を知ってしまいました。エンクレーブではじっくり利用者さんと向き合ってマニアックに直接支援すること、協力機関型JCの個別就労では周りの従業員さんをサポーターとしてどれだけ巻き込めるか、作戦をねりねりすることを学びました。現在はフォローアッパーとして障害のある人がより長く働き続けるためのお手伝いをさせていただいています。職場に赴く頻度は減ったけど、やっぱり現場はオモロイっ!!!

 <写真 : ダブル・レインボー>

【プロフィール】

平成11年1月から、社会福祉法人横浜やまびこの里 仲町台センターで、企画研修係として、「自閉症」に関する広報啓発、支援者や家族の教育研修事業に携わる。「ジョブコーチ」というキーワードに出会い、ジョブコーチ養成研修の担当となる。以来、研修修了者述べ;10000人以上の方と研修を通して出会う。12年間で出会った皆さまと、ネットワークが宝です!

【個人的な背景】

地域生活になじみにくい3人の子育て経験、親としての自閉症児への療育経験、臨床心理士としての経験を、皆さまに還元することが、これまでわが家を支えてくだっさった方への恩返しと思い、「できることから一歩ずつ」を合い言葉に、活動しています。

現在、NPO法人ジョブコーチ・ネットワークで事務局として研修コーディネイトをしながら、療育相談及び地域のメンタルヘルスのため、臨床心理士として働いています。


若尾勝己
●特定非営利活動法人東松山障害者就労支援センター(法人理事・事務局長)●特定非営利活動法人トータルサポートネット(代表理事)

webの内容が古くなりましたので更新します。特に顔写真について、別人ではありませんのでご了承ください。

<経歴>
 19歳の時に人生をドロップアウトし、社会のお荷物として2年ほど放浪。その後、「これからの時代は福祉業界」という根拠のない思い込みから福祉系専門学校に通い、平成2年に巨大福祉法人に入社。平成12年当時に、入所授産施設の指導員を仰せつかった際、連携職域開発援助事業と自活訓練事業の担当者として活動。その時に「ジョブコーチ」というキーワードに出会い就労支援にこだわり始める。平成15年3月に施設から退所したある知的障害の方の地域生活支援を行うため、NPO法人トータルサポートネットを設立、その後念願であった巨大福祉法人を平成16年3月に退職し、4月から現在のセンターに転職する。
<所属法人概要>
 埼玉県東松山市に設置。駅から最寄バス停まで約10分、徒歩だと30分強の街外れにある。建物及び土地と就労支援の機能について、東松山市の指定管理者として受託運営。法人の機能は大きく分けて3つ。1つは、就労支援(ナカポツセンターや市単ジョブコーチ含む)の機能、2つ目は、障害福祉サービス事業(移行支援・B型)の機能、3つ目は、仕事開発を行う機能。これら3つの機能を柔軟に組み合わせながら、現在総勢30名の職員で就労支援に関する包括的な活動を行っている。ちなみにこの全職員30名のうち、就労支援を担当する職員中6名、移行支援事業職員中2名の計8名は、JCネットワークの第1号養成研修修了者。JC事業は稼働させていない。
 昨年度から移行した多機能型事業所における「就労移行支援事業所」では、MWSのフルキットを導入し本人アセスメントをきちんと行える仕組みを整備。これは、地域の学校の進路指導担当者や福祉施設の就労支援担当者ニーズも受入し、評価を提供できるよう対応している。
<信条>
 オールオアナッシング

 4月に石川県立小松特別支援学校所属となりました。小学部に所属しています。業務の中で直接就労・生活支援に関わることがなくなりましたが、今まで出会った生徒や家族からの相談がポツポツ入り対応しています。また、石川県自立支援協議会相談支援部会の委員をさせていただくことになり、そこでは現場の生きた情報を得ることができ、少しだけ就労・生活支援に足を引っかけています。が、 しばらく充電です・・・・。

 精神保健福祉士
 高次脳機能障害の方の支援を6年、その後障がいのある方の地域生活支援を1年半従事。
 
 札幌市の委託による、働く障がいのある方の支援、雇用している企業の方への支援、障がいのある方の就労支援の3本に重点を置いた地域活動支援センター(就労者支援型)で勤務しています。
 平成20年11月1日からオープンしました。

 ※写真は札幌就労支援研究会での1コマです。

高坂一人
就労移行支援事業所ワークトピアあすか?U (サービス管理責任者)

経歴
1966年、富良野(ふらの)市に4200gで誕生。大学卒業後、小さな村の未法人だった社会福祉協議会に就職するも4年後に退職。(社団)日本青年奉仕協会の「1年間ボランティア」に参加し、滋賀県の「第二びわこ学園」に派遣。1年間を重症心身障がい児施設で過ごしました。派遣終了後は、「社会福祉で飯は喰うまい。趣味にしよう」と思っていたところ、縁があって知的障がい者更生施設(入所)へ就職。
重度の方の支援、事務職を経た後、「就労・地域生活担当」へ。そして2000年、「北海道だから遠いんです。」と泣きついて仲町台の実践セミナーを受講したのが、ついこの間のようです。
2003年に今のワークトピアあすかへ異動。2006年度までは、就労支援については制度の導入などの後方支援が主だったのですが、2007年4月より就労移行支援事業所のサービス管理責任者となり、気合の入れ直しを実施中です。
○ ちなみに写真は授産事業のパン製造をイメージした当施設のマスコットです。(以前は、本人にチョット似ていたのですが、最近は本人の体重がオーバー気味。マスコットのほうがスマートなのです。) 

障害者自立支援法施行に伴い、平成21年4月に施設入所支援・生活介護の事業所に移行しました。当施設は、年々高齢化・重度化が進み就労というキーワードでの支援は厳しくなってきているのが現状です。そんな状況ですが、ジョブコーチで学んだ事を日々の支援に活かそうと頑張っています。


依田晶男
厚生労働省老健局総務課長

1981年(国際障害者年)に厚生省入省。1997年から99年までの2年間、省庁再編前の労働省障害者雇用対策課で調査官として勤務。厚生省との統合を見据えた福祉施策と雇用施策の連携策の企画立案に従事し、ジョブコーチの先駆的取り組みを進める方々とのお付き合いが始まる。その後、2003年から05年まで内閣府の障害者施策担当参事官として、政府全体の障害者施策の調整の枠組み作りに従事。2005年8月からは国土交通省において、少子高齢社会における福祉施策と住宅施策の連携策を検討。
2007年8月から厚生労働省老健局で介護保険制度等の高齢者施策に従事。
ほぼ2年ごとに職場を異動していますが、どのポストにも障害のある方の生活に関わる仕事があると感じています。
大学卒業後、千葉・福岡・岡山障害者職業センター等で17年間障害者職業カウンセラーとして働く。その後、福岡にある精神科病院、精神障害者地域生活支援センターで5年間、精神障害者の就業支援と地域生活支援に携わる。2003年から大学で精神保健福祉士を育てる仕事をしつつ、就業支援実践現場のスタッフにスーパービジョン等を継続して行っている。精神保健福祉士、手話通訳士
千田 若菜
医療法人社団ながやまメンタルクリニック 臨床心理士

【ジョブコーチにたどりつくまでの経緯】
学生時代、臨床心理を学びながら発達障害の子どもの療育の仕事もしていました。が、「自分が今教えていることが、果たして子どもの将来に役立つのだろうか」という疑問も。でも何かできるはずと、講演会や勉強会などに足を運ぶことも続けていました。
そんな中で、出会った言葉が「ジョブコーチ」。最初に耳にしたときには、何のことやらサッパリわからなかったのですが、いつしかその単語はとても気になる存在となってしまい…卒業を控えた頃には、誰彼構わず「JCになりたいんですけど、どうしたらいいですか?」と聞きまくっていました(もちろん、すぐになれるわけがありませんでした)。
卒業後も定職には就かず(就けず)、JCに一歩でも近づきたいとの思いだけで、デイケア、某リハ病院、作業所を転々とする毎日を送りました(今では全て私の糧!すべてに感謝です!)。そうしていろいろな出会いを経て辿りついたのが、仲町台センターのジョブコーチ!JC事業のJCとして、念願の現場漬けの毎日を送ることができました。
【次の展開、そして今】
2006年4月、ある「目標」を持って(妄想を抱いて?)転職をしました。非常勤JC時代に、食べていくために始めた週末のアルバイト先が、現在の職場です。スタッフに恵まれた時期はジョブコーチ事業もできましたが、今は自分にできることを、できる範囲を少し超えて!、地域の皆さんの助けを得ながら頑張っています。人に恵まれるのが、私の(唯一の)取り柄だと思える、今日この頃。

その、ある「目標」とは・・・地域の支援力が上がること!

ですが、この5年で、だいぶ達成できたのではないかと思っています。目下、次の展開を検討中です。

写真は札幌セミナー(懇親会)にて。撮影者、おおさわさん。

なまえを「くつろぎなごむ」と書いて「ひろかず」とよみます。その名のとおり、のんびりだらだらが特技です!?でも仕事でいつもくつろぎなごんでいてはいけないので、毎日気合を入れて頑張っています。特にこのJC?NETのセミナーなどの参加が大きなモチベーションアップにつながっており、今回WEB委員に参加させていただき、更なるコミュニケーションが多くの人ととれる事をわくわくしております。
遅れましたが、経歴は、授産施設の現場で作業指導員を2年経験したあと、就労支援の仕事を3年行っており、ウイングで仕事を始めて現在6年目です。
4年目からは協力機関方ジョブコーチとしても活動しております。
個別就労だけでなく、様々な地域で働く形を作っていく事に力を入れています。
まだまだ経験の浅い私で、失敗、反省の毎日ですが、辛い時も「ピンチはチャンス」を合言葉に頑張っています。どうぞよろしくお願いします。

2006年4月より、東広島市障害者生活支援センター さぽーとせんたーかもみ?る (相談支援専門員)に異動になりました。

2007年7月30日より、東広島市障害者相談支援センターになりました。
3障害の相談事業所の総合相談窓口を開設しました。
《経歴》90年7月より横浜やまびこの里に所属。現在は同法人のワークアシストやまびこ(就労移行支援事業)サービス管理責任者および事業管理者として従事しています。以前は重度の障害者が地域で働くという私たち発想も周囲の理解もが乏しい中,サポーテッド・エンプロイメントの考え方に共感し,ジョブコーチによる就労援助に取り組んできました。今後の取り組みとして,就労移行支援事業の取り組みとして,重度の自閉症への就労支援から発達障害全般の就労訓練や支援を模索していきます。
【経 歴】
 埼玉県下で障害者福祉(地域デイケア、知的通所授産、身体デイサービス、就労支援、相談支援)事業に約20年従事。
 2007年の7月中旬よりODA(政府開発援助)の仕事でコスタリカ共和国へJICA(独法:国際協力機構)の技術専門家(分野:住民参加・啓発促進)としてして任国政府機関に派遣され総合リハビリテーションプロジェクトに従事中。

大学では社会科学系と特殊教育学を学びました。
【その他】
障害者スポーツはコーチ(陸上、ボッチャ、FD等)や審判で活動してます。1997年から99年の2年間、青年海外協力隊員としてホンジュラス共和国、障害者スポーツ委員会を中心に障害者スポーツの普及啓発に現地の方と取り組みました。
経歴
音楽短期大学ピアノ専攻卒業
東京生活13年後帰沖
社会福祉法人名護学院更生施設勤務 退職
雇用支援センター(現就業・生活支援センター)開所で名護学院へ復職
実務と養成校で社会福祉士資格取得
独立型社会福祉士研修終了(独立未定)
障害者就業・生活支援センター ティーダ&チムチム センター長兼主任ワーカー

コメント
就労支援に携わり7年になろうとしています。
初心を忘れず、学びの毎日です!
経歴:
教育学部養護学校教員養成課程卒。(最近、教育実習などでお世話になった先生がたとよくお会いするようになりました。ちょっと恥かしい。)学部4年生の時にアメリカへ派遣留学(LD専攻)。
卒業後、入所施設職員を経て、再度アメリカへ。
リハビリテーションカウンセリング修士(サポーテド・エンプロイメントと移行サービスを専攻)。米国公認リハビリテーションカウンセラー(CRC)。臨床心理士。 社会福祉士。
98年2月より、仲町台センター勤務。03年4月より、よこはま・自閉症支援室(横浜市自閉症・発達障害支援センター)就労支援担当に着任。08年5月、「よこはま・自閉症支援室」は横浜駅近に移転し、 「横浜市発達障害者支援センター」に名称変更しました。平成21年度は、横浜市発達障害者支援開発事業・発達障害者支援マネージャーを担当しています。

コメント:
もともとは特殊教育専攻。大学4年の時、アメリカに留学し、サポーテド・エンプロイメントに出会いました。「障害があっても、社会に出て働くことは権利」という言い切る文化に感激し、卒業後渡米し、サポーテド・エンプロイメント三昧。帰国後、仲町台センターで念願のジョブコーチになりました。最近は、相談業務に四苦八苦。そういう意味では取得後12年にして、CRCっぽい仕事をしているのかなと考えているところです。

松本 玲子
福岡ジョブサポート研究会・代表、障がい者のはたらく拠点 福岡ジョブサポート・代表

経歴
 社会福祉士
 1998年から地域での就労や生活支援の仕組みを創りたいと福岡ジョブサポート研究会の活動を始めました。その実践の場として1999年に作業所「障がい者のはたらく拠点 ジョブサポート(馬出)」を、2002年に「障がい者のはたらく拠点 ジョブサポート(郷口)」を開所し、働く事にさまざまな困難を抱えた人への支援に取り組んでいますが、ジョブコーチ支援の理念と手法は大きな柱です。
 作業所の中で取り組むさまざまな仕事や学習のチャレンジに加えて、企業の中でのジョブコーチつきグループ就労を、企業就労をめざす緩やかなステップとして位置づけて取り組んでいます。

 6月に開催した「ジョブコーチ・ネットワークフォーラムふくおか」の熱気冷めやらぬ実行委員を中心にして、“支援のサイクルを回そう”をテーマに「福岡市障がい者就労支援ネットワーク」を立ち上げました。9月には立ち上げ記念講演会を計画して準備中です。
 障がいを持つ人がその能力を発揮して元気に働き続けるには、企業や教育機関、さまざまな支援機関や社会資源が連携して支援を続けることが不可欠です。障がいを持つ人にとって本当に役に立つ生きた支援ができるために、生きた連携を作り出したいと福岡は意気盛んです。
堀江 美里
特定非営利活動法人WEL`S新木場 副理事長 

経歴
大学卒業後、中学で自閉症クラス担任教員として勤務。
学校を卒業した生徒さん達の進路選択先のあまりの少なさに愕然としました。
情熱はあっても、知識も智慧もないあまりにも未熟な教員でした。ほんとに。
二度と障害のある方の人生に関わるような仕事はしない・・・と心に決めていました。
学校の非常勤講師や区役所のお仕事をしてしばらく過ごしていました。

その頃、衝撃的なキーワードに出会います。「ジョブコーチ」
もしかしたら、ジョブコーチがいたら、、、。
平成5年に障害のある方の就労支援をするという中野区障害者福祉事業団の募集を区報でみかけて応募。入職。
庶務経理係従事後、小川先生のJCの実践に出会います。
そして、念願の就労支援担当に従事。
厳しい財政状況の中野区でしたが、温かい区の担当者の方、先輩に恵まれ、知的障害者ための就職準備フェア、失業者対策による就労支援者養成派遣事業、なかの就労支援ネットワーク設立、企業内授産活動等々。
中野区民と関わる仲間のみなさんと歩んだ充実した14年間でした。
在職中に設立し、運営に関わっていたNPO法人での活動に本格的に取り組むため
平成19年3月に退職。

平成19年4月よりNPO法人WEL‘S新木場の運営する「就業・生活支援センターWEL`S TOKYO」での活動を開始しました。現場が一番大好きです。

○コメント
 NPOでの仕事をはじめて5年目になります。
 小さな法人を経営することを通して、雇用すること・継続することの責任を両肩にず 
 しりと感じています。
 「障害者雇用」をお手伝いをすることが、私たちの仕事です。
  採用は、組織にとって最重要課題です。決して、他人任せにはできません。
  採用するしない・雇用を継続するしないは、事業主の判断です。
  だからといって「全部会社の方お願いします」では、障害者雇用は進みません。
  私たちは、事業主さんの正しい判断とナイスなマネッジメントにむけての情報提供 
  とサポー ト、障害のある方が働いてよかったと思えるようなサポートを目指しま 
  す。

 


《経歴》
1982年、当時東洋一といわれた巨大入所施設金剛コロニー(大阪府障害者福祉事業団)に就職、施設の中での「豊かな」暮らしを求めた生活支援員の30代、措置から契約の時代が始まり、「授産施設の中で働く」施設支援に埋没していた自分の愚かさを知らされ、「施設から地域での普通の暮らし」を求めて、いろいろな研修会に参加、その中で「障害があっても施設でなく会社で働ける」、ジョブコーチ支援の理念に共感、事業団でその導入に取り組んできた。そして、障害者自立支援法施行後の2007年4月堺市で事業団新施設「じょぶライフだいせん」設立にかかわり、就労移行支援事業を運営、合わせて、堺市内における就労移行支援事業者とともにネットワークを作ってきた。
2010年、特定非営利活動法人クロスジョブ堺を設立、4月より、堺市内で就労移行支援事業所わーくほーぷをスタートし、新たな人生に船出。
《コメント》
 就労移行支援事業は、これまでの福祉サイドの就労支援の仕方や考えを根本から変えていかないとできない事業です。作業所や施設での作業を余儀なくされていた方々が、就職できる時代にむけ、今後も、就職、そして雇用定着を進めた事業所には、もっと報酬単価をかげてこの事業に頑張る事業者を育てていくことが、日本の福祉にとって必要だと思ってます。
 これからの人生は、地域就労支援・企業とのネットワーク・就労移行支援事業の強化を柱に、「堺市を大阪を障害者雇用日本一に」を目標に、楽しく頑張っていこうと思ってます。よろしくお願いします。


西村浩二
社会福祉法人つつじ 広島県発達障害者支援センター

経歴
大学時代を障害児者へのボランティア活動と社会勉強に明け暮れ、なぜか広告業界へ進み、4年間悶々とした生活を送る。その後1年少々を自由な人として過ごし、1996年に社会福祉法人つつじコスモス(授産施設)へ就職する。翌年ウィングに異動となり、2002年より現在の職につく。
そして、2006年6月より広島県発達障害者支援センター専任として発達障害のある人の相談業務を行っております。
コメント
ジョブコーチの方法論や経済活動へかかわるということが前職の仕事に通じる部分もあり、自分を活かせる分野と信じて、広島でも地域就労支援の波を広げたいとあれやこれやと画策しています。この業界は「社会の中で当たり前に暮らす」って言葉がよく出てきますが、このことをあえて語らなければならないほど、福祉分野と社会との距離はまだまだ縁遠いと感じています。この状態に風穴を開ける可能性を秘めているのが「ジョブコーチ」ではないでしょうか。現在は現場での直接支援に携わることよりも、地域就労支援システムをつくることと人材養成のための仕掛けをすることが中心であり、現場スタッフの側面支援が主な役割です。また発達障害児へのかかわりも兼務している関係上、「幼児期からはじめる就労支援!?」を合言葉に一貫した支援体制を東広島地域でもつくっていくことが当面の課題でもあります。
東 良太郎
社会福祉法人いたみ杉の子 阪神北障害者就業・生活支援センターウィズゆう

【経歴】
1995年 フリーターとして就労に挑戦。離職を繰り返す。
1996年 アルバイトで稼いだ小銭を握りしめ、貧乏旅行を始める。ひとまずガンジス川で沐浴。
1997年 家から追い出され本当の貧乏生活が始まる。晩飯に誘惑されグループホームのアルバイトをする。
1998年 重度身体障害者のヘルパーとしてカリフォルニアに行く。生まれて初めてミッキーマウスに出会い感激する。
1999年 電気とガスを止められる。箕面市障害者事業団に就職し、九死に一生を得る。
2001年 障害者雇用支援センターに異動となり、就労支援にどっぷりつかる。
2007年 社会福祉法人いたみ杉の子に新境地を求める。入所施設の変則勤務に悲鳴を上げる。
2008年 同 相談支援事業所ウィズゆうに異動。就労支援のできる相談支援事業所を目指す。
2011年 念願の就業・生活支援センターをオープン。まだまだジョブコーチにはこだわる。

【コメント】
ジョブコーチという仕事に出会えたお陰で、今のところ晩飯に困ることはなくなりました。
これからはジョブコーチとして、障害のある人が自分の稼いだ給料で自分の好きな晩飯を食べる、そんなあたり前のことを支援していきたいと思っています。

川邊 循
(社福)横浜やまびこの里 東やまた工房

経歴:
大学卒業後、1993年より神奈川県総合リハビリテーションセンター職能科勤務後、2002年より(社福)横浜やまびこの里へ2006年度より現職。

コメント:

 入所施設に異動して三年目です。すっかりジャージの似合う施設職員になりました。
最近何度か企業就労している元利用者の皆さんにお会いしました。僕が元気をたくさんもらいました。

小川 卓
社会福祉法人電機神奈川福祉センター・横浜市新杉田地域ケアプラザ

《経歴》:
障害児学校の教師時代に進路に携わったのがはじまり。教育の道を捨てて、民間の福祉施設に転職し、まさか教師時代に見学したことのある就労援助機関の職員になろうとは…。現在は、福祉相談員として施設から設立母体の労働組合に出向中。 《プロフィール》: 初めに言っておきますが、ワルサをして教師を辞めたわけじゃないですよ。「学校の進路」に《限界》を感じて、民間の福祉施設に飛び出したわけです。 転職をして、ジョブコーチの世界に足を染めるようになって、全国のいろいろなところでで頑張っている、たくさんの進路の先生たちに出会ってわかったのは、結局《限界》だったのは、「学校の進路」じゃなくて、「自分」だったのね、ということでした。 「あの頃、もう少し《いろんな人に出会えるチャンス》が自分にあったら、今の自分はなかったかのも」と考えると、そんなチャンスがなくって良かったような、悪かったような…。それでも《いろんな人に出会えるチャンス》があるっていいですよね。
酒井 大介
社会福祉法人加島友愛会

経歴:
福祉業界で初めての職場が兵庫県尼崎市の社会福祉法人で作業所・通所更生施設の生活指導員として3年勤務。その後、一旦はこの業界を離れたが、どうしても足を洗いきれず、1999年より社会福祉法人加島友愛会で勤務。2000年よりジョブコーチの仕事を始める。 コメント: 加島友愛会では、知的障害者通所更生施設の生活指導員としてスタートいたしましたが、1年後、『ジョブコーチマニュアル』という私の人生を変える一冊の本に出会い、ジョブコーチの魅力に吸い込まれていきました。 施設の小さな就労支援の実践から始まり、現在は就労移行支援事業所を立ち上げ、組織としてしっかり就労支援に取り組める体制になりました。趣味は飲み歩くことです。最近は付き合ってくれる人が随分少なくなりました(笑)友達募集中です!

小松 邦明
高浜市障害者相談支援事業所   総合コーディネーター

経歴:
平成23年4月から愛知県高浜市で仕事をすることになりました。
いままで20年間、杉並やその他の地域で学んだことを活かして、チャレンジド(障がい者)が「働くこと」を実現するために、チャレンジドのつながりを広げていきたいと思います。そのために①チャレンジドと人、企業、関係機関、地域をつなぐ。②つながる機会をつくる。そんな取り組みをしていきます。
初心にかえってたくさんのことを学んでいきたいと思います。
新しい地域での試行錯誤、また「コマツのコネタ」で発信したいと思います。これからもよろしくお願いします。
経歴
大学では、児童心理・実験心理を学ぶ。 ミシガン大学に留学の話もあったが、「おまえだったら青い目の 嫁さん連れてくる」と両親に猛反対され断念。 1981年 障害児施設 生活指導員として社会人となる。 1982年 児童相談所 非常勤職員として非行少年とタンマンを はる。 1983年 知的障害者更生施設 生振の里 指導員 就職 1992年 同法人 作業援助グループリーダー 就任 1999年 TEACCHプログラムとの出会い 北海道施設協会特別 トレーニングセミナーにて故鈴木 伸吾氏のサブトレ ーナーとして参加。以後3年間サブトレとして参加。 2000年 仲町台ジョブコーチセミナー参加 2002年 知的障害者更生施設 生振の里 施設長 就任 2004年 石狩市教育委員会 特別支援教育専門家チーム 就任2006年札幌市自閉症・発達障害者支援センター就労担当相談員就任 2006.10就労移行支援事業所「あるば」所長就任。2011.10石狩市相談支援センターぷろっぷ 所長就任。就労の現場を少し離れるがボランチを目指す。プロフィールコメント とにかく小川さんじゃないですけど「Just Do It!」が服着て歩いているような「吊り橋を走って渡る」性格で「こりゃ面白そうだ」と思ったセミナーには、自腹切って参加。いつの間にかスタッフ入りというパターンでやってきたように思います。とにかく現場第一をモットーにしています。
経歴:大学では教育学部で心理を勉強しましたが、卒業後は>コンピュータの仕事をしていました。その後独立して現在はIT関係の会社を経営しています。 縁あってジョブコーチネットワークの活動に参加して、サイト運営を担当してます。 ジョブコーチについてはまだ初心者ですが非常に興味
を持っています。というのは、私の専門のIT関係も含めて、コミュニティやサポート、コーチング、コーディネータ、メンターというヒューマンスキルを重視する専門性が今注目されているからです。ITを使うことで顔を突き合せない
ですむ社会になることが、かえって人と人とのふれあいやサポートの重要性を浮き彫りにしていく感があります。また一方でITは障害を持つ人や、それまで社会に参加しにくかった子育て中の主婦を、在宅ワークなどの形で社会に参加
させる機会を広げています。ジョブコーチという分野はそんな社会の新しい可能性を、また一つ切り開く先進的な活動に思えます。


福田 年之
朝日新聞厚生文化事業団

経歴:
大学4年間を通じてアサヒキャンプの活動に没頭し、聖・俗合わせた経験は現在の素地。いまの職場で福祉のさまざまな事業に携わり、中でも1986年に始めたTEACCH関係の事業は、いまだしつこく継続中。 コメント: 「経済学部出身です」と言いながら半ば業界をさめた目で見てきたからか、ここ数年、閉鎖性や排他性といった福祉業界の限界ばかりが目につきだしていました。でも、ここ20年について言えば、ジョブコーチのテーマは、経済という業界から、障害のある人たち・福祉という分野に真剣に取り組みを見せようとした初めてのケースと言っていいのではないでしょうか。福祉業界の人間としては、このチャンスを逃してはなりません。ジョブコーチ・ネットワークにかかる期待は大です。
志賀 利一
独立行政法人国立重度知的障害者総合施設のぞみの園事業企画局研究部

大学を卒業後、民間の発達障害専門の診療所で働く。当時は、心理職として乳幼児から学齢時を中心とした発達障害児の療育相談を行っていた。13年ほどたったとき、ひょうんなきっかけから、労働組合(電機連合の神奈川)が社会福祉法人を設立する段階で合流。障害者の一般就労を目指す施設の運営に携わる。さらに15年が経過し、50歳を過ぎてから、残りの人生で何ができるか考えてしまい、転職する。現在、北関東の大自然の中で単身赴任生活中。

【略歴】
昭和57年 埼玉大学教育学部卒
昭和57年 (財)神奈川県児童医療福祉財団小児療育相談センター勤務
平成7年  社会福祉法人電機神奈川福祉センター勤務
平成22年 現職


小川 浩
大妻女子大学人間関係学部人間福祉学科・教授、社会福祉法人横浜やまびこの里・仲町台センター

経歴:

大学院で障害児教育を学び、神奈川県総合リハセンターの知的障害者更生施設の生活指導員として障害者福祉の業界にデビュー。その後、同センターの職業前訓練科を経て、1998年より社会福祉法人横浜やまびこの里・仲町台センターにてジョブコーチの仕事を始める。2003年より現職。

プロフィールコメント:

仲町台の実践がスタートして2〜3年、目前の利用者さんの支援に無我夢中だった頃、ジョブコーチについて話しをする時は、「とやかく言わずにとにかくやってみよう」という思いを込めて「Just Do It」をキーワードにしていました。管理運営の立場になるにつれて、次第に「Plan Do See」、計画と修正の必要性を説くようになりました。今、ジョブコーチ・ネットワークを立ち上げるにあたって、気分は再び「Just Do It!」。もう一度、とやかく言わずにやってみようと思っています。日本のジョブコーチ、アッという間にここまできましたが、まだまだ理想とかけ離れているからです。一緒に「Just Do It!」の人たち、側で「Plan Do See」と囁いてくれる人たち、いろいろなカラーでジョブコーチ・ネットワークを形作っていきたいです。日本の就労支援、障害者福祉、「ジョブコーチ」をキーにどこまで変わるか。もう一勝負!